幸せ貯金論

私は本当にツイてない。もってない。とにかく運が悪い。

これはもう子供の頃から自分だけでなく両親すら認めている。
だから、例えば屋台でくじびきをしても絶対に外れるのが分かっているのでチャレンジもしないし興味も持たない、雑誌の懸賞等に応募するときには弟の名前を借りて応募する等でのらりくらりと対処してきた。
(ちなみに弟は屋台のくじはバンバン当たるし懸賞にもたまに当選していた。クソうらやましい。)

そんな私は大人になってもやはり間が悪いというか、人からあらぬ疑いをかけられたりそのせいで嫌われたりで、夫にもお前は本当に運が悪くて可哀そうだと相当憐れまれ、励まされた。

ただ、現在の私は不幸ではない。
むしろおかげ様でかなり幸せな人生を歩んでいると思う。

なぜか?

私は「幸せ貯金論」の信者だからだ。(※あやしい宗教の話ではないのでご安心ください。)

幸せ貯金論とは、数々の不幸に見舞われ絶望の淵に立った私が、中学生の時に何とか自分を保つために考え付いたポジティブシンキングのこと。

例えば何か不幸なこと、嫌なことが起こる。
このとき私の中に幸せ(になるための)エネルギーが蓄積される(※あやしい宗教の話ではないのでご安心ください。)(※2回目)
幸せはこの不幸の度に貯めた幸せエネルギーによって引き起こされる。

これが幸せ貯金論。シンプル。

この考えを頭の片隅に置いておくと、不幸なことがあった時も、「あ、幸せ貯金たまった~」と思えて気が楽になるし、実際幸せがやってくる。これはマジで。

幸せエネルギーを貯めれば貯めるほど大きな幸せがやってくるので、不幸なことがもはや不幸なことではなくなる。(ツラいことはツラいけどね)

あと、やっぱり不幸なことがあるから幸せなことがあったときにより大きな幸せを感じられるんじゃないかと思う。
高くジャンプするために一度深く沈み込むのと同じように。仕事をしているから休日のありがたみを感じられるように。

冒頭でお話ししたように、不幸体質の自分が今幸せに生きているのは、この幸せ貯金論に出会えたからだ。

あ、運が悪かったな(ちゃりーん)
ああ、また間が悪い…(ちゃりーん)
意地悪な人だな、嫌な感じだな(ちゃりーん)

だんだん楽しくなってくる。

そうして幸せなことがあったときにその状況の幸せ感だけでなく、「あのとき嫌なことに耐えて貯まった幸せ貯金のおかげでこんなに幸せ!!」と苦労が報われた感まで味わえる。お得。

運が悪いとか、嫌なことが続くとか、そんなときにはぜひ「幸せ貯金論」思い出して頂きたい。

ただし、幸せ過ぎたときに「貯金たりてる!?無くならない!?」と不安になるというデメリットもあるので、依存に注意して、用法容量を守ってご利用ください。

紙の本かKindleか

最近本を買うときに必ず悩むことがある。

紙で買うかKindleで買うか…

というのも、最近引っ越したときに、本の荷造りが面倒だったし、収納場所も手狭になってきた。

個人的にはコレクター魂というか、紙の本が本棚にずらっと並んでいる様を見るのが好き。しおりを挟んでここまで読んだ、という達成感を味わいながら読み進めていくのも読書の一つの楽しみだとも思う。

ただ、現実的に考えて、これからも増え続けるであろう本を収納する場所を確保し続けるのはあまり好ましくない。
あと重い本を常に持ち歩くのも体力的に避けたいところ。

そんなこんなで最近はKindle版を購入することが増えた。

Kindle版を購入するようになって、感じるメリットは、

・ネットで買ってすぐに読める(届くのを待たなくてもいい)
・持ち運びが便利
・置き場所に困らない
・気に入ったページをスクショで保存できる

といったところ。
なんだ、良いことだらけじゃないの…

今後もおそらくKindle版の購入がメインになってくるとは思うけど、例えば枕元に置いて何度も読みたいとか、装丁が好みでどうしても紙の本で欲しいとか、時と場合によって使い分けていきたい。

(個人的には紙の本を購入したらプラス数百円でKindle版の購入も可能とかになればいいな、とも思う。)

起きて最初にすること

お題「起きて最初にすること」

 

最近は起きてすぐにベッドの中でiPhoneを触るようにしている。

 

とにかく朝が弱い私は、1度目が覚めても2度、3度と寝落ちしてしまう。だから、iPhoneアラームを止めたらそのままSNSやWeb漫画を見る。

 

そうするとブルーライトのおかげで徐々に目が冴えてくる。完全に頭が目を覚まして心の準備ができたらようやくベッドから出るという流れ。

 

寝る前にブルーライトを浴びると寝つきが悪くなったり、眠りの質が落ちるのを逆手にとったこの作戦、かなり効果的。

 

身体には何かしらの悪影響がありそうだけど,,,笑

 

やっぱりわたしは花より団子

日曜日、最高のお花見日和。というわけで夫婦で近所の公園へ。

 

シート(ちょっとフンパツして買った、ふわふわで座り心地がいい)を担いでクーラーバックを持って、途中のスーパーでお酒とお惣菜を調達。

 

きっと桜に似合うからとロゼワインといちごも。(これが大正解だった)

 

公園はお花見客でいっぱい。大学のサークルっぽい集団も家族連れもカップルも、みんな春の陽気に身を任せて楽しげ。

 

こういう時にいつも思うことがある。日本人って本当にお祭り好きの宴会好き。とにかく何かにかこつけて、仲間と集まってやんややんやするのが好きな民族だよなあ、と。

 

そんな日本人気質を愛おしく思うし、そんな私もやっぱり日本人らしくお祭り好きで宴会好き。踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々。

怒りを紐解くためには

ある本を読んで、すごく納得したことがあるので備忘録。

「怒り」とは二次感情である。「怒り」の前に何か別の感情があって、その感情が行き場をなくして「怒り」になる。

例えば、夜遅くに帰ってきた娘に「怒り」をぶつける父親。でも彼が怒る前に抱いていた、本当に娘に伝えたかった感情は「心配」。

そんな風に、怒りは自分の本当の気持ちを他人の目からも、自分の目からも覆い隠してしまう。

だから、怒りを抱いたときは深呼吸して、自分はなぜ怒っているのか、本当に伝えたかったことは何だったのか、冷静に紐解いてみようと思う。

相手のために、なにより自分のために。

過去と他人は変えられない

散々色んなところで言われていることではあるけれど、「過去と他人は変えられない」これは本当にそうだと最近特に思う。

職場に驚くほど気の合わない人がいる。とにかく保守的で、どれだけ効率が上がるやり方であろうが、今までと違うことをするのをかたくなに拒む人。

例えるなら、PCでコピーをするときは「Ctrl(Command)+C」のショートカットが便利ですよ、と教えてあげても、絶対に「右クリックからのコピー」を変えようとしない、そんな感じ。

何度もぶつかって、毎日ストレスを感じていたが、ここ数日あることをしてからストレスをほとんど感じず、快適に仕事をできるようになった。

「期待するのをやめた」のだ。

振り返ってみると私はその人と協力して仕事をより効率的に進めることを望んでいて、それが叶えられないことにストレスを感じていた。つまりその人に期待をしていたということ。

他人に勝手に期待していながら、期待に応えてもらえないからと苛立ち、ストレスを感じていた自分が恥ずかしくなった。そもそもが違う人間だから、期待するだけお門違い。

自分の未熟さを自覚すればあとは簡単。「期待するのをやめた」らストレスから解放された。

「過去と他人は変えられない」、だから、現状を打開してより良い未来を迎えるためには自分を変えるしかない。
実体験をもってようやくその言葉の本当の意味が分かったのかもしれない。

オーダーメイド

夫が野球のグローブを欲しがっている。

買ったらいいじゃないと何度も伝えているのになかなか買わないから、何がそんなにひっかかっているのかと思っていたら、オーダーする際にどんなデザインにするかを悩んでいたらしい。

インスタで他の人のオーダーグローブを見てはあーでもないこーでもないと悩み、さらにメーカーのサイトで皮や紐の色をシミュレーションできるので、真剣に組み合わせを考えている様子。

しかしあんなに皮や紐の色にレパートリーがあって、あらゆるパーツの色を細かく指定できて、パーツの形までたくさんの種類の中から選べるとは…

実際に私の好みの組み合わせをシミュレーションさせてもらったけど、これは結構面白い。あれだけ夫が悩むのもうなずける。

そして悩んで悩んで悩んだ分だけ、世界にたった一つの、自分だけの最高のグローブができるんだろうな。そんなの大事にするし、愛着もわくし、宝物になるに違いない。なんて素敵なことだろう。

夫がこの悩む時間を楽しみ、最高のグローブを手にして喜ぶ姿を見るのが待ち遠しい。